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ジムは2階です!階段を上がっていただいて、2階にございます。

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いつも元気なコーチです。

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別室に、更衣室・シャワールームも完備してます。シャワーは1回110円(税込)です。

新着情報

2025.05.12

〇〇大学の研究によると

私はタイトルのようなことに対して信じる前に実際どうなのか?を試し行動するようにしています。

・弊社は個人個人に合わせたホニャララ
・私どものサービスは子供が各々に持つ才能をホニャララ
・当ジムのダイエットは痩せご希望に合わせてホニャララ

HPでそんな耳障りの良い言葉を並べ立てる人ほど、ブログなんかで「スタンフォード大学によると・ハーバード大学の研究によると」とか使いますのね。

え??個人に合わせるんじゃなかったの??

大多数がそうである。という統計をそのまま個人に当て込むことのドコらへんが上記の3つに該当するのでしょうか??

私の頭の中にもダイエットやボクシングでの伸びる伸びない痩せる痩せないの統計は出来上がっていますが、上記のそれは個人個人に合わせてやった統計なので、、、

利権や権威性を誇示するために行われることもある研究も多い中、自分の知らないところで実施された実験結果を鵜呑みにすることのソレとは完全に別物と認識しています。



さて、、、恥ずかしい話をしますが、小さい頃の私は夢が社長になることでした。

カッコイイエピソードなんかあるはずもなく、アンタはサラリーマンなんか絶対に無理だぞ?と言い聞かされてのことです。

初めて登記をする際に税理士に言われた→代表取締役の名刺を作ってください。

この言葉に浮かれ、名刺が出来上がりソレを見てニヤニヤしていたのですね。

ただ、肩書が何であろうと会員様は頑張らなければ増えませんし「若いのにすごいですね」の言葉を言った人は全員カス見たいな人でした。

そんなこんなでそんなものに1ミリも意味など無い。実力こそが大事なんだなと痛感したのですよ。

私は経営初期段階でコレに気づけて心底良かったなと痛感しております。

一方、良い歳こいてプロフィール欄に「○○代表取締役・○○理事・○○特別専任講師」とか言ってる人が如何に滑稽かということも感じました。


そんな印籠を出してしか会話が出来ないのかね?と思いますのよ。

机上の空論はあるのでしょう。

それが故に私は頭が良い、勉強もしている、その自負もある、自己肯定感もあってハッピーです。

自己肯定感が薄く強烈な劣等感を抱いているからこその、肩書を並べ立てるように見えてますよと。

その自負は有っても良いと思いますが、それと比例して誰の言うことも聞けなくなるというのは絶対に間違ってはいけないポイントだと思うのですよ。

2つ決めていることがありましてね。

・謝ることを出来る自分で居ること
・感謝出来る自分で居ること

この2つです。

私も40手前になりますと、それが出来ずに消えていく経営者を見たり、それが出来なくて部下が辞めていった経験がありますので、調子をこきそうなときもありますが肝に銘じるようにしています。



・・・私は実はこの人を知っていましてね?

数年前に経営感覚の違いからお互いが同じタイミングで離れました。

経営って良いことが起きる度に人への感謝を感じるものなのですよ。

・俺がやってやったんだ
・俺が回してるんだ
・俺が頑張った結果だ

そういう気概も勿論大事ですが、そういう気持ちで先頭を切っていった最後に感じることは、皆のお陰様じゃなければ続かないのですね。

でもその人は違いました。

上手くやれば良いんだ。
損しないようにやれば良いんだ。
こう言っておけば良いんだ。
女の武器を最大限活用するんだ。

そんなものステージが変われば一瞬で見抜かれます。

私の知る限りそれを言う人は、結局のところ人が離れるので→また持ち前の口八丁で言い訳をし、持ち前の口八丁でその場しのぎに終始します。



昔ね、ヤッチが全く言うことを聞かなくなったときがありまして、、、コロナの出始めですね。

世の中にエビデンスという言葉が出回り始めた頃です。

ひろゆきが「それってアナタの感想ですよね?数字で示して貰えます?」みたいなことがネットに出回ったことも重なり根拠を求める傾向が強くなった時期がありました。

ヤッチは盛んに科学的やエビデンスという言葉を武器に言い返してくるようになりましたのよ。

私はボクシングは素人ですから、根拠が欲しかったのでhそう。

当時のヤッチは全く自分に合わないボクシングが最強だと思っていた時期です。

色々なことを妄信的に信じ、見る影も無くなるヤッチのボクシングに絶望していたのですよ。

わからないと動かない、納得しないと動かない、頭での知識の理解を行動での知恵と経験と勘違いしてるときです。


一度言い合いになったことが有りましてね。

私の練習はヤッチの距離を活かし、ミスを誘い最大の武器であるスピードを活かしストレートを頭をずらしながら当てる。

そのパターンを短中長の3種の距離別でやることに徹底していましたのでね。

あとは、ピンチの時はコレというだけ。

つまらない練習と言えばつまらない練習ですが、当時のヤッチは距離を詰めてコンビネーションでやり込む選手を模倣していました。

そんなときでしたが・・・

「その練習意味あります?」

「意味が無いと思うものやる訳ねぇだろ!」

「科学的根拠ありますか?根拠を示してください」

「は?じゃあなんでヤッチは伸びたの?なんで伸びないって言ったやつは伸びなかったの?そこに科学的根拠があったのか?
ヤッチはこれで伸びるというのが見えるから言ってるんだけど、それで勝ってきたことをどう科学的に示せって言うんだ?
俺の中のヤッチはこれで勝てるというものは科学じゃないけど、コーチと選手でそこを信じれないならもう出来ないけど?」

正確には、小さい頃から科学的トレーニングを遊びの中に溶け込ませていて→実質○○トレーニングに該当するという練習だったので、時間をかけて説明すればすべてにおいて根拠なんか示せるんですけども、私も私で「ヤッチは前ジムでボクサーかぶれてきて、洗脳を受けた」くらいに思っていたので、どうせ理解出来んと諦めて説明もしなかったのですねww

それがいけなかった(・∀・)

今は良い意味でやってみるが身に付いてきたなと実感しています。


話が逸れてしまいましたねww


世の中で言われているエビデンスや根拠なんか人間の感情や欲の前では無意味なのですよ。

ダイエットの研究でハーバード大学でどんなに高尚で素晴らしい実験データが出ようが、そういうデータを示したところで→目の前にケーキが有ったら食べるに決まってるのが感情や欲です。

どんなに理論立てされたトレーニングがあろうが、どんなに肩書きがある人の指導だろうが→その選手の身体的特徴や性格とマッチしなければ無意味と化すのですよ。

ですから目の前に居るソノヒトにそれが当てはまるのかそうじゃないのか?試し、行動することが必要なんだと思います。


本質的にはどうなのか??

そういうものを見極めることが出来る自分で在ろうと思った次第であります。

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