画像1

ジムは2階です!階段を上がっていただいて、2階にございます。

画像2

いつも元気なコーチです。

画像3

別室に、更衣室・シャワールームも完備してます。シャワーは1回110円(税込)です。

新着情報

2025.02.24

ヤッチくん君は惜しい

さて、私さえも寄せ付けなかったヤッチくんが敗北を機に変わり始めました。

コ…コイツ…自分は選手だから他が全部合わせろと思ってる究極のバカなのかも知れん・・・と本気で思ったほど周りを寄せ付けないオーラを出していましたのよww

持っているボクシングパラメーターで優劣を付ければ、絶対にどこも負けていない相手にKO負けしました。

チームで戦って来た相手・自分一人でなんとかしようとした結果、土壇場で孤独の無力さを知った頃には成す術無し。

個の能力で勝りながら総合力で負けました。

ボクシング以前の何かに向かう者としての心構えの部分で負けたとハッキリ自覚したのでしょう。

その後、ブログでここぞとばかりにグサグサと言われ、ようやく血の通う温かさのある人間味が出てきました。

本当に良かった(^^)

ただ惜しい。もう少しわかれ!!

世界を目指すなら良い面だけではなくもっと裏と広さと深さまでわかれと思います。


ヤッチくんの最新のブログではお見舞金の話題に触れていますが、私は→「それはそうなんだけど・・あと一歩」と感じていますw

お礼は勿論ですが、たーだ貰ってアリガトウゴザイマスで済ませてきた人に、今からでも良いから何かしらアクションを起こせと思いますのよ。

ちなみに私はヤッチの貧乏時代に何回仕送りをしようが、1回目の手術でお見舞いに行こうと思ったもののコロナで行けず、お金を渡そうがアリガトウゴザイマスで済まされておりますので今回はやっていません(=_=)

試合はいけないからと激励金をくれた人も居ますし、ヤッチ自身そういう経験をしたことも1度や2度ではないでしょう。

↑これね?恩着せがましく言ってるとかではないんですのよ?実例を出してどれだけのことを何人にしてきたのかをこれからはキッチリ理解せいYO??ということですのよ。


私がブログを見て思うことと言えば、そういう人達は沢山いるはずで→ソコに対して何もなしにブログで感謝ですと言えば感謝を覚えたと言えるのか??

あの頃の自分が恥ずかしいと言えば、反省というか成長というか理解したことになるのか??

例えは悪いですが、借金を返済しなければいけない人が居るのに、お金をくれた人にだけ感謝ですと言って、まだ返してない人が居たことが恥ずかしいです!

コレを言うことが100%な状態ですか?逆にそういう人を見たらどう思うのか??

いやいや、恥ずかしいとか言うなら今からでも返せよ先に!!ですのでね。

別に、そういう人達は見返りが欲しくてやっている訳ではないはずですが…

ヤッチのスポンサー様は私なんか比べ物にならないくらいの方が多いですので、当然「おや?」となっているか?もっと思っているはずです。

ですから裏まで深くまで広く考えようねということですのよ。


何度も言いますが、私は日本人へのスポンサーを2人を除いて一切辞めました。

皆、体育会系だからか、その場でのお礼などはちゃんと言えます。

ただ、商売ですので、その後の行動をちゃんとしてくれるかどうか??でしかないのですよ。

いやいや、こっちは善意であって、そっちは商売だからでしょ??じゃないのですね。

確かに利害関係は有りますが、その後の行動が出来るかどうかは「持ちつ持たれつ・感謝を感じてくれているかどうか?」という商売とは別のところに落ち着きますので、利害でしかないのか??というとソレは違います。

現に、スポンサーを継続している選手は「こんな風にやってくれているのならコッチも応援しよう」となりますし、選手も「そんなに言っていただけるなら」という、恋愛でいう両想いみたいな感じになりますので、商売の域を越えてくるのですね。


最近、私がKさんにお礼をしに行ったりする記事を読んだある人が「過去の清算もするんですね」と言いました。

それをした瞬間にやっぱり運命的な流れなのかなんなのか?何かに突き動かされたかのように物事が運ぶのですよ。

もちろん周りの人が動いてくれているというのもありますし、清算をしてスッキリ前向きになれたところに運というのは舞い込むというのもあると思います。

それは体感的にヤッチもわかっているはずです。

だーかーらー、あと一歩行け!!と思いますのよ。


普通じゃない結果を目指しているんだから、普通の人ならソコで終わってるよねの感覚のままになるなで御座います。

COMMENTコメント

※本コメント機能はFacebook Ireland Limitedによって提供されており、この機能によって生じた損害に対してぐるっと郡山は一切の責任を負いません