ビジネス本に書いてあることですが、大工さんの話に下記のようなことがあります。
・釘を打っている大工さん3人がいます。それぞれに何をしているかを聞きました。
・Aさん 釘打ちだろ!
・Bさん 家を作ってるんだ!
・Cさん この家に住む人の夢を作っているんだよ!
・10年後のAさんはまだ釘を打っていて、Bさんは管理職になっていて、Cさんは棟梁になっていた。
前回の短いブログを書いて思いだしたことですが、最近ヤッチのブログが変わってきましたね★
長さがです。
※簡潔に伝えるの領域とは別の話ね。
私、社員などにはブログを長く書けるかどうか?は、ソノ人が何を考えているか?どの程度考えているか?どの深度で考えているか?が、そのまま出ると伝えていたんですよ。
その何をどう考えているかに共感する人が居るかどうかなので、目立たなければやっていけない職業で文章を書けない人は何も考えていないのと同じ→致命的ですよんと。
何も考えが伝わらない=共感も応援もしようがない訳ですのでね。
昔、ヤッチはブログを書けと言うと「書くことが無いです」と言っていたので、やっとわかってきたかと安堵しています。
書くことが無いのはお主の感受性の欠如が原因であって、本当にヤッチを応援してくれる応援者が何を知りたい?どんな姿を見たいのか?何をどう伝えなければいけない?
これを把握していない何よりの証拠で応援者やお客様が勝手に沸いてくると思ったら大間違いだぞと。
先日のKさんの話でもわかるように、23年前のKさんの一言で頑張って来れた私、その一言を言ってくれたKさんもまた言葉を大切にする方だったよと。
ヤッチにも言葉が生み出す力を知ってほしいなと思っている次第で御座います。
もう少し詳しく。
文章が書けない人は必ずいずれかに当てはまります。
・考えが浅い
・相手はどうかが一切ない
・考えが自己完結
・そもそも考えてない
・事実でしか物を見れない
・表面しか見れず裏側がわかっていない
・損得でしか見てないからブログを書く時間を損切りする
・感受性が低い
こうなるとどういう記事が出来上がるか?ですが→「事実確認に終始する」です。
例えば極論で言うと、一行日記なんかがその極致です。
「今日はお兄ちゃんとコーヒーを飲みに行きました。楽しかったです。お兄ちゃんありがとう」
幼児用中国語の教科書と同じレベルの文ですけども、コレって正に自分の言いたいことしか言っていない事実確認な訳で→読んでる人は「そうなんだ。へー」で終わってしまいます。
短さ=考えの浅さに比例するとわかります。
親なら「お兄ちゃんと行ったんだね!コーヒーどうだった?美味しいの飲めて良かったね★今度はどこに行ってみたい?」になりますけども、これでは他人や成人の心は打てません。
ちなみに私はこういうことを子どもに言われると「で?」と返しますww
これが勘違い格闘家やセレブりたい人になるとこうなります。
「今日は誰々さんに焼肉をご馳走になりました。美味しかったです。感謝。」
ほとんどの格闘家がこのレベルですわなww
私も僭越ながらスポンサーなんかをやっていますと、そういう言葉を頂戴する機会が増えてきました。
そんな言葉にほとんど意味などは無く、ただただそれっぽく並べられた→実は幼児レベルの言葉に辟易しております。
骨のある人はごくごく一部なのだなと痛感しているのですね。
私、昔、これをある人に言われたのですよ。
・短い日記に共感するお客様は居ないんだぞ?だから物を語れるようになりなさい。物語に人は共感するんだろ?そして必ず実行しなさい。
さて、最近、日本人選手への提供をほぼ辞めようと思っていますと書きました。
何かを感じた選手はDMを送ってきます。
ワードは違えど全員が外枠は定型文です。
SNSに投稿しないことへの謝罪→出来ない理由→引き続きよろしくお願いします。
何を?なんで??何のために???ですww
そういう選手ほど、上記のような投稿はセッセとやっておりますのね。
同じようにはなるでないぞ!