15歳からの23年間、いつの日か必ず感謝を伝えたいと思っていた方が居ましてね。
中学校の同級生の母親でKさんという方です。
当時、学校もろくに行かず、行っても保健室、勉強なんか一切しない、水泳だけという生活でした。
不良ではないし、一般にイメージするワルでもない。
当然ですが、不思議がられ先生には腫れ物扱いをされ、同級生にも馴染めず、目的もなく良い高校に行けばなんとかなるだろうという考えを希望だとは到底思えず、受験を頑張る意味もわからないまま無気力に過ごしていましたのよ。
周りが燃えれば燃えるほど、温度差を感じていたのが15歳でした。
ただ、水泳だけは頑張っていたことがキッカケになり、Kさんはプロテインを提供してくれたり、移籍のお世話をしてくれたり、唯一自分を認めてくれる方だったのですね。
ただ、反抗期、思春期が凄く長かった私は高校で益々ヤル気を無くしたのですね。
強豪校の上下関係が気持ち悪く、体育推薦が集められたスポーツに青春を捧げたようなクラスに違和感を感じていましたのよ。。。
結果的にプロテインを貰っていたのも、移籍話の世話をしてもらったことも全て無駄にしました。
私の地元は狭い住宅地なので、それからはKさんへの後ろめたさから避けていました。
15歳のとき、一度、こんなことを言われましたのよ。
→豊岡くんは、水があれば水を得た魚になれるよ。今は見つからないだけ。
高校を卒業してから色々あったなんてもんじゃないくらいありましたし、冗談抜きで死んだ方が生きるより楽だなと感じたこともありましたが、ずーーーーーっと頭にあったのは上記の言葉でした。
水さえ得れば。一気にいくんだ。
今はようやく、やっと、やっとやっと、やっとやっとやっと、その兆しが見える位置にまで来た感覚があります。
帰路に立ったとき、いつも思い浮かべた言葉はKさんのその言葉でした。
Kさんの連絡先は知らなかったので、インスタで娘さんのアカウントを探し連絡しましてね。
娘さんとはスイミングが一緒だったので、すぐにKさんに連絡を取ってくれました。
23年間、どんなにキツくてもKさんの言葉が原動力になったという感謝を伝えることが出来るかと思うと今から泣けてきます。
私、Kさんに感謝とお礼を伝えるには何かしら誇れる物が無ければいけないと思っていたんですね。
こうして数日後に感謝を伝える機会が来るとなった今、誇れる結果やそういう話ではないなと感じていますのよ。
私が誇れるのは、15歳の自分にその後の人生の窮地を幾度となく救ってくれた言葉とそれを言ってくれたKさんに出会えたことなんだなとしみじみ思います。
しっかり感謝をお伝えしてこようと思います。
絶対泣くな😂