お客様あってのプロ論には甚だ疑問な私です。
ボクシングには「あの戦い方じゃダメ!プロなんだからKO狙って倒しに行かないと!それがプロとしてチケットを買ってもらうということだ!沸く試合をしなければいけない」
そんなことが言われておりますのよ。
一面から見れば、そうだそうだと言われることも理解できなくはないですが、だとしてもそうじゃないと私は言いたいのですね。
何故か??2つあります。
・本人がやりたいからやっている。
・プロあってのお客様だから。
スタバが無ければお客様が居ないですし、車が無ければドライバーは居ないのと同じです。
発生の起源はプロなわけですので、そこが逆になることは有り得ないと思うのですね。
それが逆になるとはどういうことか??
スタバが無い時代でもスタバのお客様は居て、車が無い時代にでもドライバーは居た。ということになるので有り得ないのです。
そして、根本には本人がやりたいからやっているという前提があることも忘れてはいけません。
言葉は悪いですが無機質に見たら→自分がやりたくてやってるオ●ニーに人が集まるかどうか?でしかない話。です。
そこにお客様が付くかどうか?は、あくまでも受け手次第なはずです。
よりお客様に理解のハードルを下げて応援しやすい環境や状況を作れるように、SNS等での発信も勿論重要な要素なことは確かですが、芯の部分で言えば、それをした結果→受け手次第ということが変わるわけではないですしね。
お客様あってのプロというならば?だったら、尊敬と尊重が必要なはずで、それが皆無だろう?とワタシは考えておりましてね。
別に俺は凄いキツイことやってるんだから尊敬に値するとかの次元の話ではありません。
ヤッチがやりたいからやっているというだけのボクシングを観た人が→リスペクトする気持ちが生まれ、リスペクトがあるから尊重できる。
ヤッチはヤッチでやりたいからやってるだけのことに、そんな気持ちで居てくれるお客様が居ればお互い様になるはずであり、そこにはお互いの尊敬と尊重が生まれるよね、と私は考えているのですね。
俺はお金払った客なんだから面白い試合をせい!!!!のどこに尊敬と尊重があるのか?
そんなものに迎合して、成人君子的に「プロである以上満足させる試合をしなければならない」なんて、ヤッチが言い出したらドM的オナニーなので馬鹿げておりますのよ。
これは↑お金貰って美味しくないコーヒーを出しても良いというのか!!!という物理的なことだけに着地して良い話ではありません。
自分の行きつけがあるとします。
なぜお客様として自分がその店に行くのか?
人と味に付いているわけなので、人を理解できず尊敬と尊重が無い&コーヒーの味というより牛乳だけくれ!のように、お門違いの要求をしちゃっている状態がなんで良しとされるのか?です。
ですから全くの別物です。
お客様あってのプロではなくプロあってのお客様がお互いのリスペクトを生み大きなエネルギーになるのだと思います。