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ジムは2階です!階段を上がっていただいて、2階にございます。

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いつも元気なコーチです。

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別室に、更衣室・シャワールームも完備してます。シャワーは1回110円(税込)です。

新着情報

2024.07.22

何故、指導者や選手は自分の考えを捨てきれないのか?

前記事の最後の部分の話を書いてみようと思います。

煩悩の一言で済んでしまいますが、何故煩悩が出るのかの話です。

考えることが沢山あるとブログが進みますね(^^♪


タイトルの件ですが、少し前まで考えを改めることが出来ないのは指導者だけと思っていました。

が、それは選手も同じなのだなと感じるようになりました。

エンジョイスタイルを学んでも何も変わっていない選手もいるには居るからです。


ただ、指導者と選手の煩悩の出方には違いがあると考えていまして、指導者は完全にプライドで選手は向上心が故です。

とは言いつつ、両者の共通する点で言うと、自分を否定することへの恐怖かなと感じています。


まず、指導者についてですが、指導者は自分の指導に絶対の自信や核となる経験を持っていますので、そこから離れられないのですね。

私は頑固そうに見えて全くなくてですね、ヤッチが世界を取ることが全てなので対象となる物事や考えが劣っていて、ヤッチが伸びなそうであれば聞き入れませんし、ヤッチが伸びると思えば簡単に今までの自分の考えに対して掌返しをしますww

Aという近道を教えてもらったという感覚なので、俺は今までB道を来たんだから今更路線変更はしねぇぜ!みたいなことを思う意味が分からないのですね。


次に選手については、アレコレ手を出してきた結果、向上心が故に全部やってきた!無駄にしない!という考えでそこを捨てきれないのですね。それかバカか。

ここに関してはヤッチもそういうものは全くなくてですね、上記の私と全く同じ考えなのでやり易いのですよ。


最後に共通点ですが、自分の考えを変えるということは指導者なり選手なり、今まで積み上げてきたものを他人なのか自分なのか?によって、ぶち壊し新しい感性や常識を作り上げなければいけない作業という、進化するには一時的な痛みを伴う筋肉痛的なストレスが発生しますので、、、ここに対する恐怖は大きいよなと感じています。

例えば、受験範囲だと思って必死に勉強していたけれど???実は全く違う範囲を勉強していたという事実を安心しきっていた時に突きつけられた→そんなはずがない!何かの間違いだ!と何かのせいにしてしまうのと同じで、自分がやってきたことを自分で否定することは難しいことなはずです。


ただし、これらの全てがあったとしても、超一流の最高を目指すのであれば目的がブレブレで勉強不足だからそうなるとしか思いませんのよ。

何のために?という目的がブレなければ「その為にこちらが最適ならこちらを選択」しようとなるはずで、そこには「俺はこうやってきた」なんて発想にはなり得ませんし、勉強を少しでもしていれば本物本質を見分ける嗅覚は付いているはずだと思うのですね。

勘違いされてほしくないですが、自分たちは出来ているぜ!スゲーだろ!という話じゃなくて、少しエンジョイをやっただけで目の当たりにし、痛感し、間違いを突き付けられ、糸口や答えが見えるということを考えると→少し考えればわかることだけど、それすらも感じれないことのヤバさを知ったほうが良いよね。というところで言っております。


あーーーー出家しようかなww

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