贔屓目無しでヤッチが爆伸びしています。
エンジョイ練習会ではスキルの数では上回れる選手も出てきましたが、では確実に勝てるのか?というとそうでもないのがエンジョイボクシングの奥深さであり、それに1発で気づかせてくれるのがパラボックスです。
ジムで言えばSさんが点数を取っていて「イケルかも」と思った瞬間に、私の感覚では10㎝前のめりになり、ヤッチに点数をバカスカ取られます。
今週はこんなことがありました。
それまでの全てのラウンドでヤッチが勝てていたのですね。
練習の残り時間も残り僅かという場面で、いつものルールとは違う「1点先取の5本勝負」になりました。
ヤッチは2本先取され、相手は油断
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ヤッチがその隙を突き2点取り返す
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2-2で迎えたラストマッチ
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私的には「最後だ!勝ちたい・負けられない・勝ってやる」という気持ちが出たヤッチの距離が気持ち近くなったところを取られたのですよww
途端に遊びが無くなりましたw
帰りの車中で「あれは欲が出たの?」と聞いたら「楽しもうとしか考えてなかったです!」と答えていましたが→負けたあとの悔しがる姿を見ると「勝ちたい・・・いやいやその欲がダメなんだ!楽しもう!」という「欲を隠すために言い聞かせていたんだろうな」という感じでした(^-^)
例えば、女の子を持ち帰るために「俺は下心とかないぜアピールのためにする紳士的行動」のソレみたいなもんということです★
平常心とはよく言ったもので、楽しいことをそれ以上でもそれ以下でもなく平らかにやりきることの奥深さを話し合いながら帰りました。
それはそうとこれが本当の「メンタル強化」や「練習」「鍛錬」だと思っていましてね。
ボクシングで使われている言葉で「練習は練習であって試合じゃないから勝ち負けじゃない」と言われます。
が、私は異を唱えたいのですよ。
練習こそ試合じゃないから試合の勝ち負けの疑似体験をしておけ!!それがOKな場面が本来練習なはずだろ!!と。
実際の試合で勝敗が決まるとき、人によっては引退を賭けます。
それだけ賭けて来たものが大きかったということですが、それがポジティブかネガティブかに関わらず「精神」を賭けて「満足してないけど引退」「やりきったから引退」というように、精神の消耗に耐えることが出来るのか出来ないのか?が判断基準になっていると思うのですね。
となれば?
するべきは「精神的な疑似体験」だと思っていますし、メンタルを保つことがスキルを活かしきる唯一の方法だとエンジョイスタイルは教えてくれています。
練習段階で点差と勝敗によってハッキリと課題を突き付けられ、課題をクリアに出来る・・・しかもノーダメージだからスパーリングのように肉体的な消耗からくる精神的な消耗は皆無なのがパラボックスです。
練習で沢山の思考があり、敗北を経験し、ダメージが無いので精神も消耗せず思う存分「楽しい」を追求できると思うのですね。
以前、「最新の練習をやれば良いってもんじゃない!根性論も必要だ」と言われたのですが、「じゃあなんでアナタはその程度なの?」と思い違和感だったのですよ。
「最古の練習と根性の欠片も無いじゃんよ」と。
根性はどんなに障害物があってもそこにぶつかって行く強さではないと思うのですね。
自分のボクシングを追求するために敗北からでも学び、どうしたらハードルを綺麗に跳べるのか?というところを考え続け、正しく進むことをエンジョイできることが根性だと思うのですよ。
エンジョイ出来れば辞めるなんて発想にならないのですから、継続は力なりで最終的に根性と結論付くのに→策も無しにエンジョイも無しにキツイことすりゃOKそれが根性!→俺はそうやってきた!のドコら辺が根性なんでしょうかと。
キツイときこそ無骨に出る姿や試合を好む人は多いですが、1回1回出てくるハードルにぶつかりながら金メダルを取った選手は居るのか?
1回1回出てくるハードルの途中で転倒し怪我をしてしまう可能性のほうが高くないか?
何故にそれが根性と言えるのか??
そもそもキツイときが来ないように練習して、それでもキツイときは練習で経験した疑似体験の精神状態への対処という引き出しやスキルの引き出しをパっと開けて、ハードルをパーーンと跳べばよろしいんですし、それがしたくて頑張ってるのが練習の本質だと思うのですね。
・・・Gさんの奥様曰く日本語が通じない人なのだそうですw