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新着情報

2024.07.01

息子よ格闘技に命を賭ける覚悟はあるか?

タイトルの件のSNSを見つけまして。

親心、気持ちとしてはそのくらいの気概を持ってやってほしいというのはわかりますが・・・理解が出来るかというと違和感を感じます。

そもそも格闘技をやる時点で命はかかってますので、それを再確認しているだけに過ぎないのですね。

命がかかっているということを教えたいのであれば如何にして命がかからぬよう技術向上させるか?を子どもなら尚のこと教えていったほうが良くね??という話ですので。

命がかかっていることを子どもに教えたいのに、実態の無い「覚悟」なんていう二文字に全ての意味を込めることで命の大切さを教えた気になってしまうことは「軽視」だと思うのですね。

実態の無い→いけ!前に出ろ!手を出せ!自分から!

↑は具体的な指示ではないにしろ、百歩譲ってこれなら指示された子は「攻めろってことだな」という理解は出来ますが…

覚悟という実態の見えないものを覚悟という言葉で理解させ「不退転の気持ち」のような??

「なんとなくそういうもん」くらいで覚悟を持たせることは難しいと思いますのよ。


私が気持ち悪いなと思う点で、気持ち・根性・メンタル等、言葉は違えど「精神的なこと」に全てを委ねすぎることは、間の過程を知らず知らずのうちに疎かにしてしまうという落とし穴があると思っていましてね。

勿論、精神的なことは強い選手や結果を出す人とセットですけども、精神だけじゃどうしようもない部分というのは必ず出てくるということも感じています。

例えば、山の頂上にある財宝を手に入れたいとします。

山の中腹までは険しい道のりだけれども?諦めなければOKという根性でなんとかなりますよと。

ただし、財宝を手に入れるには?最後の最後で立ちはだかる反り立つ断崖絶壁がある。

そこを登るのは根性じゃなくて、ただただ梯子があれば良いだけだったりするけども??

精神的なことに全てを委ねすぎると「気持ち!気合い!負けない心!」となって断崖絶壁を素手で立ち向かうようなことをしてしまうのですね。

いやいやいやいや!!梯子掛けてとりゃ良いじゃんってだけの話ですよ~んと。


格闘技に命を賭ける覚悟はあるか??ということがどれだけ馬鹿げた言葉かという話を横断歩道に例えると??

無鉄砲に横断すれば事故に遭います→格闘技もそれは同じ→息子よ命が失われるかも知れない覚悟して渡れ!

となると思いませんか???

教えるべきは覚悟なんて実態の無いモノではなく、信号が青になったら→右左右を確認→手を挙げて歩き出す。

という具体的な「どうすれば安全に自分の身を守れるか?」を教えることですので、カッコ付けて「命を賭ける覚悟はあるか?」なんてオナニーをしてる場合じゃないんですのよ。


誰が言ったか、格闘技は実戦ありのチェスゲーム とはよく言ったものです。

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